にっっっっっき

今友人がFF7Rを配信してるのをぼーっと見てるような見てないようなしてる。

そのうちやりたい気もするので内容を追いたくないからあんまりしっかり見ないようにしてる。

 

同人のRPGゲーってだいたいツクール的なもので作られてるから、ファミコン的なドット絵で声もなくて文章で話が展開するんだけど、どうも昔からこっちの方がゲームとして味わいがあるなと思ってしまうときがある。これは俺だけじゃないと思うが。懐古主義的といわないで。

 

端的にいうとFF7Rというかあの手の最近のグラフィックよくなった後のゲームって映像的すぎると思う。ムービーシーンとか名前の通りですけど映画志向。

CG技術が進んでバーチャルに空間を作れてキャラを配置できるようになった時点で映画を撮ることが可能になってしまったんだろうな。

しかしゲームは自分でプレイできることが重要なもので、そこにくると映像はやはり基本的に他人を見て感情移入するための表現媒体なのでそのへんが矛盾してしまってゲームとしての没入感が薄いんだと感じた。

状況説明にしかならない動かないアイコンとしてのドット達とかそれこそ記号でしかない言語でできた文章とか、その程度にとどまってあとは自分の内面でなにか広がるものを感じるほうがプレイヤーとしての没入感を阻害しないなと思った。外から感情的なものを流し込んで感化させるようなものはゲーム的でないのかもしれない。

映像としてよくしようとする方向ってあんまりゲームとしての価値はなさそうだなと思った。物語はあっていいが、ゲームなんだから映像として語っちゃ意味がないって感じ。ゲーム的体験を作るツールにはなっていいけどその辺ちょっと難しいかもね。

 

最近メモ的に書いてるからメモ的にっていう目的が発生したせいでなんかブログの書き味がかわってきてしまった気がするな。もっと排泄的にいきたいな。ブリブリブリ